「人と比べるのはよくない」とよく言います。実にその通り、他人と自分、あるいは他人の子どもと自分の子どもを比べて一喜一憂することくらい、くだらないことはありません。「○○ちゃんはもう六年生の算数の問題が解けるんだって!」「○○君は塾で成績がぐんぐん伸びたんだって!」といちいち大騒ぎする必要は、どこにもありません。これはあらかじめ強調しておきたいことです。しかし、ことが受験となると、話は別。何もほかの子ども達と同じ勉強法をとらなければならない、という意味ではありません。ライバル達の力と自分の力を比較し、客観的に、つまり周りと比較して自分の実力がどの程度なのかを正確につかむことが必要、と申し上げているのです。こればかりは、自宅学習では不可能です。では、どうすればいいのでしょう。これは簡単です。塾や塾が実施している公開模擬試験を利用すればいいのです。
日本の女性は「ナチュラル」に弱い。彼女たちを魅了するこの言葉の意味するところは、2つに分類される。1つは、メイクをしているにもかかわらずそう見えない、そう見せない肌を演出する化粧法だ。化粧という行為は、本来「ナチュラル」とは相反する。肌色のファンデーションを塗り、白粉をはたき、眉を作り、まつげをカールさせ、唇に赤い色を差し、人工的にもう1つの顔を作る行為にほかならない。にもかかわらず多くの日本女性は、土台となる肌に関しては素肌っぽさを愛してやまない。派手めのメイクが流行した時代も過去にはあったし、目元を強調するメイクは大流行しているが、肌が厚塗りに見えることを嫌う。あたかも、元から白くキメの細かい肌であるかのように演出する。興味深いこの志向を端的に表しているのが、女性誌が作り出した「すっぴんメイク」なる造語であろう。
遺骨は他人には気持ち悪いものかもしれないが、遺族にとってはそうではない。高齢者の二人暮らしが今、増えているが、どちらか一人が亡くなった場合、遺された者としては「せめて遺骨だけでも自分のそばに」と思うのは当然の感情である。「遺骨にいつまでもこだわるとよくない」「死者にこだわってばかりいないで、新しい人生を歩みなさい」というアドバイスがよくされるようだが、これは間違っている。他人には、とやかく言う権利はない。遺骨にこだわりたければ、こだわり続ければいい。それはマイナスではなく、プラスの面もある。その人が気持ちを整理し、故人の死を受け入れられるときが来るまで、まわりがとやかく言うべきではない。死者を忘れることが新しい生活の第一歩なのではなく、自分の生活の中に死者を新しく位置づけることが大切なことなのだと思う。気持ちが整理された結果、それなりにケジメをつけたいという気持ちで納骨するのであれば、もちろんそれも遺族の自由である。